たじまよしゆき プロフィール

アーティストと言うと聞こえは良いが、本質的には単なる音楽好きのオヤジ。
グラフィックアーティストでもあるが、こちらも本質的には単なるクリエイティブ志向のオヤジ。
音楽活動、創作活動を通して「オヤレボ」(※)ムーブメントを盛り上げるべく鋭意活動中。
音楽的な実績で書けるものは以下の通り:
1992年にアーティストオーディション「Wanted ‘92」で8組のベストアーティストに選出される。
2000年にポニーキャニオンよりアルバム「Rhythm & Rhymes」をリリース。
女子プロレスやキックボクシング、ボクシングの入場テーマ曲を手がける。
後楽園ホールなどの試合会場で歌うこと多数。
TVKの音楽番組「ミュージックマッシュルーム」にレギュラー出演。
格闘技専門チャンネル「サムライTV」にも不定期に出演。
2012年、ミュージカル団体「横浜アンプラグド」にて音楽作家&ミュージカルアクターとして参画。
2016年より「1年かけてアルバムをつくるプロジェクト」をスタート。
2017年、世界的に有名なロックバンド「モット・ザ・フープル」のキーボーディスト、モーガン・フィッシャー氏とドラマーとして共演。
2018年10月より、「ライフシフトのための四楽章」としてアルバム4枚を順次リリース予定。
その第一弾が「情熱エクスプロージョン」。
※:オヤレボ=おやじレボリューション、オヤジへの正しい認識、地位向上を目指す活動のこと。

こちらは最新リリースの新譜「情熱エクスプロージョン」に収録されている「理想の家族」。実は「理想の家族」などないんだ…。というお話。

こちらも最新リリースの新譜「情熱エクスプロージョン」に収録されている曲「モノクローム」。想像の世界がどんどんと膨らんでしまうお話。

たじまよしゆき プロフィール系のストーリー Vol.1

たじまよしゆき

ちょいと前、2001年頃の撮影だ。あ、結構前か…

またもやハレー彗星がやって来た!?

唐突な話で申し訳ないが、自分史を紐解くと、まるでハレー彗星のごとく、自分にはほぼ10年周期で音楽活動を行うという規則性があるようだ。ちなみに2012年からの何年か(いや、今回はもっと長そうだ)はその〝音楽活動期〟にあたるらしい。それ、つまりは「音楽活動を再開するゾ!」という意味なのだが、一旦流れが始まってしまうと、もう〝誰にも止められない!〟状況になるのは経験済みなので、今回も、もしかしたら〝禁断の起動スイッチ〟を触ってしまったかも…といった状況だろうか。

第一期音楽活動期は小学1年生。

ではちょっと過去に遡って、私自身の音楽活動についての簡単な解説をさせていただくこととしよう。まず、人生における第一期の音楽活動期は、小学校1年生のときだった。

私の小学校1年生のクラスでは、各自「じゆうちょう」と呼ばれる一種のお絵かきノートを持っていて、私はそこに「あわてもの探偵 プッキ」というオリジナル漫画を描いていた。それはそれでとても興味深いのだが、〝音楽活動〟ということで言えば、その漫画のテーマソングを作詞・作曲した、というのが最初の音楽活動だったということになる。シャッフル系のリズムに乗せたノリの良いこの楽曲を(その漫画も含め)、今後発表することはまずあり得ないだろうが、今だにその一番の歌詞とメロディは完璧に記憶しているから、この事実は私の記憶違いでないことは確かだ。(あ、二番と三番の歌詞は忘れてしまったが。)

「すわモーツァルトの再来か!?」と一瞬周りに淡い期待を抱かせた、僅か6歳の幼い少年のその閃光のごとき天才的ひらめきも、実はたった1曲だけで終わってしまう。第一期の活動はそこまでだ。

第二期はフィジカル

第二期の活動期は中学生〜高校生の頃にやって来た。そしてその活動期は第一期よりも長かった。

まずはギターに惹かれた。そしてその後はドラムを叩きたくなった。そしてオマケに高い声でロックを歌いたくなった。で、一番熱中したのはドラムだった。イアン・ペイスとドン・ブリューワーをコピーしてバンドで活動した。高校の文化祭ではドラムソロも披露した。オリジナル曲も5〜6曲ほど書いたろうか。

ここから先は書くと長くなるので多少割愛するが、ドラマーとしてのプロ活動(なんとスタジオ練習でもギャラがもらえた!)も含め、しばらくは活動を続けていたが、しばらくすると……だんだんとフェードアウトしてしまった。何故かって? もちろん飽きてしまったからではない。〝ハレー彗星〟が去ってしまったからだ。こうして楽しかった第二期の音楽活動期が幕を閉じる。

夜中に花開く第三期

第三期の活動期は、28歳の頃に唐突に始まった。その頃は〝仮の姿〟として英会話講師をしていたのだが、ある日、授業をしている真っ最中に無性に曲を作りたくなった。(天の啓示というヤツは場所を選ばない!?) もちろんその日は仕事の後にイシバシ楽器店に直行し、半ば衝動的にシーケンサー付きシンセサイザーを購入してしまう。コルグのM1というヤツだ。

これは良かった。見事に音楽創作活動にハマった。平日の日中は仕事で忙しいからもちろん作曲活動などできないが、ときどきメロディーが浮かんだりすると、それをミニ譜面にメモし、帰ってから真夜中まで作曲活動にいそしんだこともあった。

余談だが、午前2時〜4時頃の真夜中の時間帯は、調子が出て来ると本当にクリエイティブな時間帯になる。まるで宇宙と同調したかのように、次から次へとメロディやらアレンジやらが沸いて来て、あっという間に曲ができあがってしまう…なんていうこともあった。それはそれは楽しくて仕方のない〝悦楽の境地〟みたいな時間帯だった。(もっともその反面、翌朝の辛さは半端なく、何度も遅刻しそうになったのは余談だが。)

Atariの1040STコンピュータ

宇宙との同調マシーン、知る人ぞ知る「Atari 1040ST」コンピュータ。これにCubeatというシーケンスソフトを入れて作曲していた。CPUパワーの割には結構高性能で、同じ程度のスペックのMacより確実に速かった。

そしてできあがった楽曲は、いくつかのコンテストにも応募した。もちろん歌は自分で歌った。何発かの不発弾の後、「ウォンテッド’92」というテープ応募系オーディションでは賞をいただくことができた。翌年に立派なスタジオで録音した同オーディションの特別CDには「イタリアンレッド」という私の曲が収録されている。

ただ、第三期の活動はこのあたりで終了してしまう。いやいやハレー彗星が去ったからではない。別の彗星が現れてしまったからだ。この彗星のことを掘り下げるとキリがなくなってしまうのでやめておくが、簡単に言うと〝グラフィックデザイン系のお仕事〟という彗星が現れた!ということだった。

すべてが予想外の第四期

そして、あまりに忙しかったグラフィックデザインの仕事がひと区切りしたように見えた1999年の夏のある朝(確か仕事での徹夜明けだった)、唐突に例の彗星がやって来た。「このままでは、人生で二度と音楽をやることはなくなってしまう!」という「孤独の叫び」(わかるかな?)ならぬ「心の叫び」が私を揺り動かした。

第三期よりもグレードアップした機材を使い、私は早速作曲作業にとりかかった。ここからのストーリーが本当は長いのだが、(Webなのに紙面の都合で)多少割愛すると、結果として以下のような活動をすることとなった。

第四期の主な音楽活動内容
  • ライブ活動:都内、横浜市内、大阪・神戸
  • 入場テーマ曲の提供およびリング上でのミニライブなど:女子プロレス、ボクシング、キックボクシング
  • テレビ番組用楽曲の提供および出演:サムライTV、TVK
  • CDリリース:ポニーキャニオン etc…

たじまよしゆき ワンダーオーケストラ

こちらは「風よ空よ」。キックボクシングのエンディング曲として使われた。

こちらは女子プロレスの入場テーマ曲「スカイブルー」2001年~2005年頃にかけてMaru(丸山美和)選手の入場曲として使われた。

そして第五期の活動……

そしていよいよ2012年からの第5期がスタートしてしまった! まずはちょっとしたミニライブと練習(ミュージカルのボイトレ講師みたいなこともやってる、実は。)、そして気に入らなかった歌詞を全部書き直す!ということをはじめた。ときおり満員電車の中で歌詞ができてしまったり…等々、自分にとってのクリエイティブ空間のあり方も昔と随分と変わってきた。新しく書いた歌詞はほぼ30曲程度になった。ここを土台に活動して行こう! そう思って2016年からの“続・ハレー彗星活動”が始まる! 今回は楽しく、ラクに行くぞ!…と。

そして、2018年の現在も「続・ハレー彗星活動」中というワケだ。がんばるゾ、と。長文を読んでいただいてどうもありがとう!こちらはまた加筆予定。

以下はハミダシ加筆…と(2018.5.13)

上記のアタリのコンピュータ、Atari 1040STというヤツを今、実は探している。そう、過去につくった作品のフロッピーが今のPCでは読めない! という想定外の事態が起きているためだ。何曲かどうしても復活させたい曲があり、そのデータが必要になっている、という状態だ。残っているカセットテープが唯一の手掛かりとして現存するが、それを打ち込みで再現する…というのもかなり骨の折れる仕事。さぁ、どうする……。オークションやebayで探してはいるが。